01/13.Tue   幼稚園は、登園拒否児でした 
22:31

『登校拒否』では、ないのですよ

『登園拒否』でした


二人の姉達は、黒髪の日本人形のようでしたが

なぜか・・・私だけが、髪の毛が、茶色でした

茶色と言うより金髪に近かった

幼稚園児って、意味も無く残酷な言葉を、言うのですよ

顔を見ると、『ア○ノコ』(今は差別語)と、いうのです

おもしろがって言うのですけどね

言われてる方は、たまったもんじゃないです

で、幼稚園には、行かず

母が、ミシンで私たちの服を作ってくれてる横で

着せかえ人形で、遊んでました

母は、3姉妹の洋服を

全くのお揃いではなく、部分的に柄や色をかえて,

何処かだけお揃いにして3人の娘に着せて、楽しんでました

ミシンの音が、快く、じっと見ながら、私も人形の服を作ったりしてました

母は、日本人形の様な姉たちには、バレー(洋舞)を習わせて

外人ぽい私に、なぜだか日本舞踊を、習わせました

幼稚園に行かない事を、とがめもせず

側で遊ばせてくれてました

まぁ、私が幼稚園に行く時は、1年に1回だけ

それは、学芸会の様な日に、日舞を踊りに行くときだけでした



子供なりに,幼稚園は、行かなくてもいいけど

学校・・・・行かねばならず・・・わかってました

入学前に

思い切って、母に、『髪の毛、クロに染めたい』と、言いました

『わかった!』と、言って、行きつけの美容院に連れていってくれまして

黒に染めたいと、言うと

その美容師さんが

『こんな奇麗な髪、初めてみたゎ〜染めない方がいいよ〜』

『素敵な色だよ〜』と、言ってくれました

それに、染めると次にはえてくる髪が、変な色になってしまうと言うのです

まぁ、これは、前もって母と打ち合わせがあったかも・・・・

幼い私は、これで、納得して

私の髪は、奇麗な金髪なんだぁ〜〜って、自信を持ったのです

入学後のいじめは、暫く続きましたが

そのうちに友だちもできて、3年生ぐらいには

ガキ大将を家来にするほどでした


母の機転で、守ってもらえたことは、言うまでもないです

で、あのとき、ミシンの横で学んだ事が、夢にと繋がったのでした



母は、私が26歳のとき、亡くなりましたが

いじめの事は、話した事もなく、聞かれた事もなかったけど

母は、心をどれだけか痛めていただろうと

自分も母になった時、やっと気がつきました

そして、いつも守ってくれた事に、感謝しました



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